時折、静かに密やかにONになる、
それは「掃除スイッチ。」
天気の良い休日だとか、ありがちだ。
例えば、床に少し水をこぼしてしまうとする。
雑巾を取りに行くとクリーナーが目に入る。
とりあえず雑巾を手に戻ってくる。
食器棚のガラスの汚れが気になる。
拭くのはキレイな方から順だと考えつつ、
ガラスを吹き終えると、棚の上にホコリの塊が見えた。
やはり、上から順番だろうと、
棚の上の箱類を一旦、床へおろし、
...
気が付いたら、台所周りの掃除を終えていた。
しょうがない、とあきらめてシャワーを浴びよう。
頭を流していると、
セッケン入れに汚れが...(以下略)
「コチ、コチ、コチ、...」
時計の音だけが部屋の中に響く。
ベッドの中で目を開くと、まだ薄暗い。
枕元のケータイを見ると、
もう9時をまわっていた。
頭はまだ半分眠ったまま。
この部屋の時計はケータイだけだ。
「ポタ、ポタ」
と途切れがちに鳴るのは、
隣家の壊れた雨樋から垂れる音。
そいうえば、実家にはボンボン時計があったっけ。
昨夜は風邪気味で早く寝た。
まだダルさが残っていて、少しモノい。
そのままベッドでごろごろする。
確か雨の日に歌う歌があったけれど、
思い出すことができなかった。
雨の日に考えることなんて、
ロクな事じゃない。
遅すぎるよ君は
こんなに私を待たせるなんて
ずっと独りだったから
背中の羽根はしぼんでしまった
むかしむかし、私は天使だった
笑顔ひとつで幸せを生み出したよ
家族限定だったけどね
もう空を自由に飛べないけれど
それでも肩に力をこめるよ
小さくなった翼だけれど
いっぱいに拡げて、風に乗る
君へ向かって吹く風に
だから、茨の道も越えていくよ
君にもあげるよ、笑顔をたくさん
眉間のシワも無くしてしまうよ
だって、私は天使だったから
だから優しく受け止めて
そしたらなれるよ、もう一度
君だけの天使に
「右の袖口のボタン、」
取れそうだよ、と私は田高君に言った。
平日で昼食後の今は閑忙期、
晩秋にしては暖かい日差し、
会社は、のんびりとした空気に包まれていた。
ちょっと困った顔をして彼は、
「もう古くなったから捨てるよ、このワイシャツ。」
今日はもう外回りもないし、とか言う。
まだ着れるよ。
と私は半ば強引に彼をひんむいた。
ポッケからお針子セットを取り出し、
ボタンを付けてあげた。
5分とかからないのに、捨てるなんてもったいない。
会社では私は「もったいないオバサン」だ。
「お局様」だけでは足りないらしい。
昔はこれで「女の子らしいね」と言われたものだが。
世間は変わり、私も歳をとり、
そう言われることは滅多に無い。
服は数年で買い換えられるのが普通になり、
確かに今の既製服では10年保つものはあまりない。
なんて事を考えていたら、また眉間にシワが寄ってたのか、
皆、自分のデスクへ戻って行った。
いつもの事に、ちょっとだけヤレヤレと思っていると、
コーヒーを煎れに行っていた田高君が台所から戻ってきた。
両手に持ってきたマグカップの内の一つを私に差し出し、
「ありがとう」
私は作り笑顔で、
「あらやだ、フラグ立っちゃった?」
彼は目をそらし、
そそくさと逃げるように自分の席へ戻って行った。
後輩をイジメるのもたまにはいいでしょ。
私には知る由もなかった。
数日後、彼からの反撃が始まることを。
笛吹きケトルが鳴らなくなった。
ある寒い冬の午後、
近所のちょっとおいしいパン屋さんで買ってきた、
最近お気に入りのパウンドケーキがあった。
紅茶を淹れようとケトルを火にかけた。
10分もあればお湯は沸くだろう。
読みかけのラノベを開いて枝折を手にとる。
私はページを読み進めた。
表紙買いで初めて手にした著者の本は、
私の趣味にはあまり合わなかった。
幾ページかも進めないうちに、
本を閉じて放り出し、台所へ向かう。
ラノベが面白くなかったのが幸いした。
お湯はチンチンに湧いていたが、
しかし、ケトルは鳴っていなかった。
とりあえず火を止めて、
ケトルのフタを確認する。
フタをきちんと閉じないことはままある。
大雑把な私だから、珍しくない事だ。
しかし、今回は違った。
フタと笛口を確認し幾度か火にかけたが、
やはりケトルは鳴かなかった。
「お願いだから、
もう一度、あなたの歌を聴かせて」
未練がましいったらありゃしない。
これはただの笛吹きケトル。
5年前に彼と選んだモノだから。
「お前はガサツだな。」
「せめて、大雑把といってよ。」
まぁ、いつものやりとりなんですけど。
自他共に認めるところではあるけれど、
私はかなり大雑把な性格らしい。
旦那もそれについては諦めている。
つきあい始めて間もなく、
このことについて彼は全面降伏してくれた。
とはいえ、ズボラな訳じゃない。
共稼ぎだけど食事の用意はしているし、
ゴミは決められた日に出す。
洗濯物は貯めないし、
家の中はキレイに片付いている。
自分で言うのも何だが、
人並な主婦をしていると言ってもいいと思う。
つまり、日常生活さえ回っていれば、
私はそれで充分満足なんですよ。
なんて満ち足りた素晴らしき日常だろう。
という、ここまでが言い訳ですね。
先日、越してきたばかりの我が家だが、
もちろん洗濯機もあるわけで。
旦那が独身時代から使ってる古いタイプだ。
水道に旦那がつないでくれた。
ふと気がつくと、
蛇口とホースの継目からポタリと水が漏れた。
大した量でもないようだったので、
空いたプリンの容器を置いてみた。
溜まったのは一日で容器の1/3ほどだった。
それなら毎日水を捨てれば、これでいいや。
何の問題もない、平和的な解決だ。
一ヶ月ほどして、風呂上りに彼が訊いてきた。
「コレなんだ?」
少し水の溜まったプリン容器を片手に。
事の次第を話した訳ですよ。
「まぁ困るって程じゃないし。」
という私をよそに、
彼はバスタオルを腰にまいたまま、
蛇口とホースの継目を見ている。
「古くなってるから、新しい継口買わなきゃな。」
日曜の朝に目が覚めると、
旦那は洗濯機の継口を外していた。
根本的に解決しないと気が済まない彼らしい。
「今日は映画観に行くはずでしょ?」
少しだけバツが悪そうに彼は、
「これ新しいのに換えなきゃなぁ。」
本当に面倒くさい性格だこと。
コーヒーを煎れて、
洗濯機の前に坐っている彼の側にマグカップを置いた。
しばらくして、
「おっ」と彼から声がもれた。
行ってみると、
一度外した継口が元通りにつながっている。
「ゴムがヘタってるけど、しばらくはもつだろう。」
蛇口をひねると、確かに漏れは止まったようだ。
「プリンの容器で良かったじゃん。」
私のささやかな反抗を無視して彼は、
「映画、まだ間に合うよな?」
ちょっと微妙かもしれない。
全く、男の子というのは手間のかかる人種だ。
けれど、今回の妥協点はこんなところだろう。
いつだってそう、アンタってやつは
いっつも突然に現れる
待ってたって来ないくせに
最悪のタイミングを狙って忍び寄る
私のビックリした顔を
すました笑いで楽しんでいるのね
ちょっとくらい時間をちょうだい
心の準備くらいさせてよね
当たり前のように私に指図するくせ
結果はいつも失敗の山
私は空回りもいいところ
アンタにつきまとわれてる間中
おかげで何にも手に付きゃしない
でもね、嫌いな訳じゃない
消えてしまうと、ちょっぴり寂しい
時々忘れたふりをするけれど
本気じゃないって判るでしょ?
たまになら、来てもいい
トコトン本気で遊んであげるよ
6年前からずっと使い続けてるグリル
魚は好きな方やさけ、
週に幾度も魚を焼くがやけど、
魚を焼くがちょっこし下手んなった
今までは、焼き網の上に一尾ぎり
真ん中に置いとけば、あとは火加減
開いた身を載せるんは
ちょっこし寄せて、骨にも火が通るがにする
近頃は二尾並べるがやけど
端と中とで焼け具合がやっぱり違ごう
一緒に食べたいさけ
一尾づつ焼くがは嫌ねんけど
両面焼ける魚焼き専用のグリル
買ってもろうかな?
プレゼントはむつかしい。
凡庸な私は、なかなか気の利いたプレゼントというものを思いつけない。
以前にあげたプレゼントは気に入ってもらえたけど、
後で聞いたら実はもう既に持っているものだったとか。
東方の三博士ならば良い贈り物をできるのだろうか?
では、「賢者の贈り物」をくれた人は、
どう思って贈ってくれたんだろう。
週末に本屋をブラブラしていた。
親友の女の子の誕生プレゼントのヒントを探して。
絵本のコーナーも見て回ったが彼女ももう6歳。
さすがにちょっと、もう子供っぽいかしら。
そんな事を思い眺めているうち、
ふと一冊の大版の絵本が目に入った。
リスベート ツヴェルガー挿絵の「賢者の贈り物」。
新しい版になったのだろう。
装丁も昔より立派になっている。
昔付き合っていた彼からもらった絵本だ。
「賢者」という言葉が嫌いでわざわざ英語版を取り寄せ、
私の誕生日にプレゼントしてくれた。
amazonやインターネットのまだない時代、
原書を取り寄せるのに一ヶ月かかるのが普通だった。
その彼とは長くは続かず、もらったものは全て捨てた、何もかも。
けれど、私は本を捨てることができない。
彼からもらった唯一の本、そのプレゼントは、
本棚の奥を探してみると、そのままあった。
もう10数年開いていない、そのままに。
彼と私はことごとく趣味が合わなかった。
コーヒーと紅茶、パンとご飯、短気とのんびり屋、
よくしゃべる彼と口数の少ない私。
そのころ、どうしてあんな人と付き合ってるのかと友達から訊かれた私は、
適当で曖昧な返事しかできなかった。
当時ツヴェルガーの絵はちょっとした流行で、
その絵が好きという一点で、二人の意見は一致していた。
そう、ただあの繊細な絵が好きだった。
気が付くと夕方の6時。
私は本を閉じ、それと一緒に思い出も閉じ込めた。
早く晩御飯の準備を始めないと、
もう旦那と子供たちが帰ってくる頃だ。
うなじの辺りがチクチクする。
髪を伸ばし始めた、
ずっとベリーなショートだった私だが。
5つ上の兄がいて、
子供の頃は兄のお古を着ていた。
「小っさい時はいつも俺にくっついて来た。」
と兄は言うのであるが、
どうも話を盛っているっぽい。
なぜかブラコンへ私を誘導しようとしている?
いつも母にカットしてもらってるが、
その母はせっかちな性質だ。
月に一度は、ややもすると二週毎に私の髪をカットする。
よく言えば男勝りな母に似た私。
だから私は髪を伸ばしたことがなかった。
うなじがチクチクするのは、
伸び始めた毛先がツンツンとつつくから。
どうやら私は猫っ毛のようだ。
慣れないブラシを使うけど、うまくまとまってくれない。
「もう少し伸びるまで縛っておけば?」
とか友達からアドバイス。
そんな感じで、落ち着かない今日この頃。
こんな私だが、
髪の長さにつれて貯まっていくものがある。
胸の奥に、今はまだひっそりと。