満月の夜にベランダでビールを飲みながら,ふと思い出した.
世間にはいわゆる雑文書きと称する人たちがいて,日々雑文を各々のwebに公開しているのである.
私はというと,そんな雑文をあちこち拾い読みして楽しませてもらっている.
あるとき,幾つかのサイトで読んだ雑文が,同一のテーマでほぼ同じ時期に書かれていることに気が付いた.
これがいわゆる雑文祭というものだということを程なく知った.
思い出されたのはそういうことではなくて,今現在「こっそり月見雑文祭」というものが開催されている,ということだった.
普段は読んでいるだけの雑文だが,一度は書いてみたいという気持ちもあったので,つらつらと考えてみることにした.
月見といえば,月である.
当たり前である.
当たり前にもほどがあるので,もう少し考えてみる.
月見といえば,縁側に酒を持ち寄って飲めや歌えの大騒ぎ...ではなくて,古来,団子にススキをお供えして,月で餅ツキをするうさぎを眺めるものである.
いかん,あまりにもステロタイプに過ぎる.
秋風が凍みてきたので,部屋の中に入り続きを考えた.
最近はすっかり朝晩が冷えるので,そろそろコタツを出そうか. いや,その前に扇風機をしまわなくては...
いかんいかん,頭がすっかり違う方へ向かっている.
しかし考えてみると,雑文祭参加には,ある程度テーマに沿ったものが要求されるだろう.
さらに雑文中に特定の語句を入れる「縛り」というものもあるようだ.
やはり参加するのはやめておこう.
それよりも,いつコタツを出すか,の方が私には切実な問題である.
コタツといえば,幼いころ祖父の家の堀ゴタツに入ったところ,柔らかいものを踏んづけてしまい,びっくりしたことがあった.
猫である.小ぶりな気の小さな三毛猫であった.
アパート暮らしで犬や猫を飼うことができなかった私は,世のコタツにはすべからく猫がいるべきであるということを,このとき初めて知ったのである.
その後,童謡にあるように「猫はコタツで丸くなる」のだろうかと思って,覗いてみたことがある.
すると,猫はやっぱり丸かった.
月夜の晩に
こっそり月見雑文祭不参加作品