HTMLの普及期に「コンテンツ」か「コンテクスト」かという議論(?)があったかと思いますが,それを思い出してちょこっと考察.
かなり話を単純化して強引な論理展開です(笑).
映画を見てると「作品性」重視のモノと「エンターティメント」重視のソレとがあります.
これってそのまま「コンテンツ重視」と「コンテクスト重視」になるのではないでしょうか.
「作品」は内容を深く掘り下げることで普遍性を得ることができ,何度も繰り返し視聴され,長く残ります.
一方「エンターティメント」はうまく時流を取り入れることで大きな瞬発力を発揮しますが,逆にその時代の流れ(文脈)に大きく依存しています.
この考えをもっと一般化して,「コンテンツ主義」や「コンテクスト主義」と捉えてみます.
昨年あたりからblogが普及してきていますが,日本ではそれ以前から「Web日記」や「雑文」の文化がありました.
これらの差異を考えると,まさしく二つの主義の違いですね.
雑文はコンテンツ主義そのもので,初期のころは少数の優れた作家たちの独壇場だったと思います(私的感想ですが).
他方,blogはトラックバック等の相互関係が本領発揮ですからコンテクスト主義ですね.
Web日記はその中間でしょうか?
話はちょっと変わります.
「微積分」はニュートンやライプニッツが発見したものとして知られていますが,日本でも関孝和が独自に発見していました.
欧米などのアカデミズムは,発見発明のみならず知識の伝承もシステマティックに行われていたのではないかと思います(実はよく知らないのですが).
一方日本ではどうかというと,柔術が柔道になったように,「道」になるんですね.
学問も道だったわけです.
以前からこの違いは何だろうと考えていたんですね.
物質主義や精神主義では割り切れないような気がしていました.
日本人ってけっこう物質偏重なところがありますよね,昔から.
で,これは上述のコンテンツ主義とコンテクスト主義ではないかと思ったわけです.
つまり,日本では個(人)の完成が主たる目的であり,知識やその伝承はあくまで副次的なもの.
欧米では,知識やその伝承が主目的で,個人のことは個人のこと.
こう考えると,案外いろんなものがコンテンツ-コンテクスト軸で整理できるような気がします.
自動車産業でみると,フォードのライン生産はコンテクストですし,トヨタの「カイゼン」は個々のコンテンツの向上と捉えることができます.
例えば,アニメーションで比較すると,アニメ先進国アメリカではディズニー以来,集団作業で子供向けエンターティメントとして作られてきました.
一方日本では作家性(手塚治虫,宮崎駿)が重視され,特定の「絵師」にファンが付いたりします.
新海誠さんや粟津順さんなどの個人作家の登場が新しい風を吹き込んでいます.
バンダイがキャラクター産業での成功者としてNHKで報道されていたのを見たことがあるのですが,これはどうでしょう?
ガンダムSEEDの続編では,新作のガンプラが売れなかったために旧作のガンダムと主人公が新作のそれを駆逐してしまい,物語が破綻したと聞いています(すいません,見ていません).
それ以前にガンダムという名前をつけてしかアニメを作れないというのもひどいものですが.
これではそう長く続かないと思います.
同人誌(特に2次製作)というのもコンテンツ主義に支えられているのでしょうか?
昨今のフィギュアブーム(雑誌やお菓子のおまけにもついてくる)というのも見てみると,コンテンツ偏重なのかなとも思います.
私の好きな「根付」なんかも同じのりなんだろうなぁ.
続きます.