都俣さんと出会ったのは、自宅の裏の公園だった.
たまの日曜の夕方,近所をぶらぶら歩くのだ.この近所にも子供は少ないらしく,夕暮れ時の公園はいつも人気がない. 30過ぎの男では,一人で公園に入るのにも,ちょっとした気遣いが必要な御時世である.
ベンチに座って,タバコをくゆらせていると,目の前を空き缶が転がっていた.それを転がしていたのが都俣さんだった.
私が都俣さんに気づいたことに都俣さんが気がつくと,一旦手を止めた.そして軽く会釈をして,都俣さんはまた空き缶を転がし始めた.自分の身長の半分程もある缶なのだ,
というよりも,都俣さんは空き缶の倍程の背丈しかない.その姿を目で追っていると,ゴミ箱の前で止まった都俣さんは,空き缶を投げ上げてストライク.折り返して,また私の前を通りかかり,また会釈した.そこで,私は始めて都俣さんに話かけたのだった.
魔法が解禁されて,はや150年余り.魔法は,珍しいものではなく,むしろ飽かれた存在と言って良い.高位の魔法使いが空を飛んでいるのを見ることもあるが,いなかではまれだ.かつてゴーレムだったものたちは,今は工事現場で重機と呼ばれている.もとより私は魔法や科学に強い方ではない.都俣さんのようなもの達は,確か「自律式魔法使い機械」という類のものだったと思う.
「わたくし,トマタと呼ばれております.」というのが都俣さんの言葉.都俣という宛字は,私が勝手につけた.少し話をするうちに,これは自動応答みたいなものだと気が付いた.縦にした空き缶サイズの都俣さん.もとより,高度な魔法を使用しているはずもなく,簡単な受け答えができる程度なのだった.
しかし,言葉を少し交わすと,都俣さんには不思議な心地よさがある.式を施した人物の,さりげない上品な気くばりが感じられる.だから,私の中ではトマタではなく,都俣さんになってしまった.それから,私は時々この公園へやってきては,都俣さんと言葉を交わすようになった.