揚地町

あいかわらず前の日の日記です.
昨日は本多町の県立図書館へ.
文化八年(1811年)の古地図があったので,祖先の情報がないか探してみる.
金沢も昭和に地名表示変更があったのですが,
江戸期,明治期にも変わっていて,現在地との対象がやっかいでした.
小一時間見て回って,ようやくそれらしい所をコピーしてきました.
地図そのものは楷書書きなので,対応する部分の活字版もコピーします.
後でじっくりと精査しようというわけです.
家に帰ってよくよくみると…
母親の実家の揚地町だけ載っていて,
父親の実家の下笠舞町(当時は村?)は載ってませんでした.
数軒しか離れていないのですがね.
母方は士族ではないので,文化年間だと名字がないだろう.
屋号も不明なので,確たる証拠は見付かりませんでした.
しかし,揚地町は文化年間で20戸近く,
大正年間には11戸ですから金沢も過疎化が激しかったのでしょうね.
金沢の人口の半分は士族(卒族)だったらしいので,明治維新の影響も大きかったのでしょう.
下笠舞の方も,今回は見逃してしまいましたが,
父方も元祖が1853年没(生年不詳)ですから,
文化年間には笠舞にはいなかったかもしれません.
その元が分かるヒントでもあればと考えているのですが.
ついでに旦那寺のある五宝町(現,笠市町)を見てみたのですが,
お寺さんが見つかりませんでした?
五宝とは,西本願寺(当時は西末寺?)を含む五つのお寺を指し,
うちの旦那寺も含まれているはずですが???
ちなみに母方の祖父は兼六図書館に勤めていたそうですが,
これが今の県立図書館なんですね,今回初めて知りました.