金沢市立図書館,石川県立図書館でちょっと調べ物.
図書館員の皆さんのおかげで色々判りました.
ていうか,予想していた以上の成果がありました!
私の父方の祖父のことを調べてきました.
私が生まれるずっと以前に祖父は亡くなっているので顔を見たこともなく,
色々事情があって,写真も遺影以外は見たこともありません.
昭和5年ころ,金沢にNHK放送局(当時はラジオ)が開局した頃に,
民間のオーケストラに参加していたらしい,と聞いていたので,
そこを切口に調べてもらいました.
結果から言うと,なんと祖父の写った写真が見つかりました!
「石川県音楽史」という資料でした.
キャプションでは上段左から2番目が「宮島」とありますが,
上段右から2番目が恐らく私の祖父です.
祖父については,これ以上なにも分かりませんでした.
このオーケストラは「金城管弦楽団」という名前でした.
「金城管弦楽団」についてはいくつか資料があったので大筋をみてみると,
明治41(1908)年に石川師範学校に赴任した大西安世という方が,金沢での洋楽普及の祖らしいです.
この年,祖父は誕生しています.
ちなみに甥っこの小学校校歌の作曲者でした.
明治43(1910)年に大西さんを中心に「金沢音楽会」が設立されました.
大正元(1912)年に金沢音楽会は「鳳雛会音楽部」となり,オーケストラが結成されました.
大正6(1917)年に鳳雛会音楽部は「金城音楽研究会」となる.
その後,大西さんの門下生の筒井彦太郎,金剛信義,篠原秀一という三人の方がヴァイオリン教室を開きました.
祖父はヴァイオリンを独学したと聞いていますが,この方たちからも習ったのかもしれません.
昭和初期に「金城団」というのは金沢の社交団体があり,講演・庭球・野球・スキー部などがあったそうです.
金城音楽研究会が金城団に合流し(?)「金城管弦楽団」になったようです.
この時期については,明確な記述がなくはっきりしません.
祖父が「金城管弦楽団」に所属した経緯や期間については,何も分かりませんでした.
また,同時期に「金沢キネマ音楽団」という,映画館で伴奏していた楽士の混成舞台による楽団がありました.
昭和7年に金沢で行われた産業博覧会で「金城管弦楽団」と合同演奏したそうです.
金沢キネマ音楽団からも金城管弦楽団へ参加した方があったようです.
その後は戦争が近づくにつれ,金城団は自然消滅・解散状態になったそうです.
祖父も戦争中は大阪・上海に赴任していたので,その頃には楽団には参加できていないはず.
昭和21(1946)年,戦後すぐに「金沢交響楽団」が結成されましたが,
祖父は戦後をほとんど病床で過ごし,昭和27(1951)年永眠しました.