物語は始まらない 4

団体で御観光さんたちが押し寄せてきたので,私達は部屋を後にした.
「タレルの部屋」は美術館の一展示室なんだけど,四角く切り取られた空が借景になって眺められる.
街家の中庭のよう.
いつでものんびりできる場所,ただし人があんまりいない場合に限られる.
「まだ,ちょっと気持ち悪い.」
とはマサキの言,昨夜のお酒がまだ残っている.
「チハちゃんは,平気そうね.」
それはそうだ.
一緒に飲んでいたけど私は,そんなに飲めない.
それでも,昨日は彼女に付き合わされてけっこう飲んだ方だ,
「少し頭イタいかも.」
「いつも休みの前の日に飲んでるから,休日の午前中は寝て過ごすけどもったいないよね,」
「だから,明日は早起きして遊びに行こう.」
というなりゆきで,珍しく日曜の朝から二人でつれだって来たというわけ.
朝はといっても,待ち合わせは結局10時まで延長された.
秋口の晴天で気持ちが良いはず,飲んでいなければ.
そのせいか,美術館を出ると観光客が今日はとりわけ多いようだ.
すぐそこの兼六公苑はいわずと知れた観光名所だし,
金沢城では二の丸御殿の復元が始まり,つい先日部分的に公開が始まったところだった.
このあたりは華やいだ空気に満ちている.
「観光さん,すごいね.」
「ほやね.」
昨晩2時まで飲んでいた二人にとっては,その賑やかさはちょっとしんどい.
スクランブルの交差点を渡って広坂を登る.
坂の途中で,右側へ分かれる石段に入る,と,途端に静かになる.
木々が生い茂り昼間でもかなり暗い.
つい先までの宣騒がウソのよう.
この道は,御観光さんはほとんど通らないし,ここの人もあまり利用しない.
はっきりいうと何にもない.
何にもないとはいえ,石段を登りきって少しいくと,木々に囲まれた洋館がひっそりと建っている.
もとは陸軍第九師団長の公邸で,今は休憩所として公開されている.
優雅なつくりの応接間に入ると,ソファに座ってのんびりする.
ソファは,豪奢な部屋に相応しいとはいえないが,
一般客向けとしてはけっこう上等なもので,フカフカだ.
部屋の中には,やはり,他のお客さんはいない.
ここは二人にとって,隠れ家というか逃げ場のような場所として重宝していた.
「あと,ひと一月か,」
私は自分に確認するように,声に出して言った.
道路をはさんで向かいにある兼六図書館が,お城の中に移転する.
同時に休憩所も改修されるため,しばらくは入れなくなる.
「じゃ,今日はここで一日ぐうたらしよう.」
若い女の子が,こんな所でひきこもりなんて,
「もう女の”子”じゃ,ないよ〜.」
「はい,はい.」
しばらく休んでから遅めの昼ご飯を食べに向かった.
そばかうどんにしよう,ということで一致したけれど,
寿限無か砂場か,というところで意見が分かれた.
そんな秋の日だった.