歌の帰るところ

前に初音ミクのボーカルに違和感を感じないって書きましたが、(歌はどこからくるの…?)
最近、なんとなくその理由が分かりました。
良くも悪くも初音ミクの歌には感情がない。
つまるところ、私は「叙事歌 活字(叙事詩)」として聴いているんですね。
デジタル時代になって、
歌の下手な人でもCDを出せるようになりました。
沢山録ってイイところだけつないで一曲できあがる。
デジタルだからできること。
生で聴くと、CDと全然違うなんてことも珍しくない時代。
私は、歌は「歌う」ことで出来上がるものだと思ってます。
だから、逆説的だけど(表面的な)感情がないことはヴォーカロイドのデメリットではないんですね。
むしろメリットなのかも。
「わび」「さび」のように欠けているものを想像で補う文化の中で、
かえって歌詞や曲が見えてくるような気がします。
どこかでryo(supercell)さんも、
「歌い手を意識しないでいいから恥ずかしい歌詞も書ける」
ようなことを言っていたはず。
そう考えると、「supercell」のラストの曲 “またね” って、
楽器の独白みたいで、すごく切なく聴こえる。



今日はすごく寒いので、篭って本を読んでます。