箱庭から外へ

最近ちょっと考えていたことのメモ
常々日本人は殻を作りその中に閉じこもる習性があると思っていたのですが、それって「箱庭」って言葉に集約できるのかなと。
自ら制約を設けることで、微に入り細を穿つことに集中できる感?
例えば「オタク」というカテゴライズ。
若い人は違うのかもしれませんが、少なくとも40代以上では次の二通りの使われ方があるように感じます。
1. 自らオタクと名乗り、その殻に守られる。
2. オタクを否定することで、自分を差別化する。
どちらも気持ち悪いので、私は「オタク」という呼称を避けて使っていません。
まぁ、いつまでも閉じこもっていることはできないので、いつかはその殻を破り外界へ出て行く時がくるだろうと。
と思って見ていたのが次の作品
「PSYCO-PASS」公式 / wiki
「新世界より」公式 / wiki(小説)
と考えていたのですが、「おおかみこども雨と雪」
@渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」
第29回 「おおかみこどもの雨と雪」興収42億円ヒットの背景
第30回 たとえアニメといえども、現実と無縁ではいられない
この中でプロデューサーの渡邊隆史さんが言っている『…「キャラクターアニメ」にしてはいけない…』が引っかかりました。
私はこういうアニメーションが好きで、もっとそういうものが出てくればアニメへの偏見も減っていくと思っているのですが。
実際、作り手の側にもそういう作品を作りたい人は少なからずいるのでしょう。
現実には商業的にそれは難しいのでしょうねぇ。
個人的には「おおかみこども雨と雪」は子育ての物語として見ていて、母と重なる部分が多かった作品でした。
足踏みミシンとか、懐かしいなぁ。
蛇足ですが、新海誠さんの「ほしのこえ」を見て最初に感じた “新しい感” は、まさに「キャラクターアニメじゃない」だったんだなと思った。