A&G超RADIO SHOW アニスパ!・プラス 2014.2.8(土) 22時台
ゲストは神谷浩史さん、その中で声優として日本語が気になるか、というような話題で、
「依存」は「いそん」だけど、「いぞん」でも変換できるから…
言葉は生き物だから…
という話があって、ちょっと考えた。
私が義務教育を受けた30数年前でも、例えば、
「一所懸命」が正しいけど、「一生懸命」も広く使われているので、こちらも現在ではアリ。
というように誤用が正解になる場合があると教わった。
まさしく言葉は生き物。
もうちょっと考えてみると、その変化の仕方が変わりつつあるのかな、と思った。
少し前までは日本語変換はIMEを開発・保守する人たちにコントロールされるのが当たり前だった。
例えば、ATOKの場合には「ATOK監修委員会」があり、あくまでも正しい日本語が規範になっている。
参考:
HOME> ATOK 30周年記念サイト> 連載 ATOKの”かしこさ”の秘訣とは?>
第1回 誤りのない日本語と使いやすさにこだわるから、人の手がかかります。
しかし、私がよく使っているGoogle Chromeの検索窓では様子が違う。
いわゆるビッグデータなのだろうけど、ローマ字入力の途中の段階で候補が出てくるが、そこには言語の壁すらない。
IMEをオフにして「nihom…」と入力すると確かに「日本」が候補として出てくる。
ただし、そこには言葉としての正誤の情報はない。
よく使われている間違いは流布しやすいのだろう。
音声入力でも同様だ。
ApplaのSiriは言語設定で言語を切り替えるが、Google Chrome/Mobileの音声入力は言語の壁がない。
私の拙い発音でも、英単語をネイティブ風に発音するとアルファベットの候補を表示する。
(あくまで発音記号やイントネーションを守ればの話。)
言葉/言語を管理するということが、良いことなのか悪いことなのかは簡単に答えが出せることではないだろう。
ジョージ オーウェルの1984をだすまでもない。
一説によると、日常会話はそのほとんどが文法的には正しくない、とも言われる。
生き物であるという「日本語」の生態そのものも、いま変わりつつあるのではないかと、何となく思った。
■追記
公式 アニスパレポート 【第514回】