第3法則

先日、その裏の顔で、A.C.Clarkeの未来予測の第3法則を引用しました。
あえて「悲鳴伝」に載っている形で書きましたが、オリジナルはというと、
3. 充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。 @wiki
原文:
3. Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic. @wiki
「悲鳴伝」では主語を「高度に発達した科学は」と書いています。
明らかに「科学技術」を「科学」に置き換えてるよねぇ。
引用のミスではなく、意図的に使ってます。
第3法則について興味がある方は、次の本の第35節が参考になります。

A.C.Clarke
楽園の日々
ISBN 4-15-203444-0
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その裏の顔

学生時代に社会学の先生に聞いたお話。
簡単に言うと、社会学において個人の「自我」について極論すると二つの立場があり、
・自我の集合が社会を構成する。
・社会が個人の行動を決定する (自我は存在しない。)
その両極の間に現代の社会学がある、ということでした (20数年前)。
考えてみれば自我というのは抽象的な概念であり、科学的に存在するか否かを問うべきものではありません。
日常では「自我が存在する」と仮定して思考・行動することが有用であるため、そのように利用しているものですね。
このように現実、特に日常生活においては前提として当たり前だと思っていることが、単に相対的なものであったり、利便的に使われているにすぎないことがままあります。
ゆえに論理的あるいは科学的に物事を考える場合においては、どこを起点にして論理を構築するかということが肝要。
その意味で、私は数学(狭義では記号論理学)が唯一そのことを自覚的に扱われている学問でした。
さて、日常はそんな不明瞭な仮定やルールに満ちあふれているわけですが、だからこそ簡単にひっくり返ることが起こり得るのでしょう。
特に近代になるほど、科学的という言葉が、かつて「神様がそう言ってから」という意味に置き替わりがちです。
科学が神話化し、容易に科学神話が成り立つ世の中になっているようです。

西尾維新
悲痛伝
ISBN 978-4-06-182855-1
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西尾維新
悲鳴伝
ISBN 978-4-06-182829-2
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そこで、悲鳴伝/悲痛伝です。
この英雄譚の主人公は徹底的に受動的な人間です。
著者もその点に力を割いており、そのため一見この小説は非常に読みにくい展開をしています。
もちろん技術的にはすらすらと読ませてくれる文章です。
例えば、ほんの一瞬の描写に数ページを使って述べるような展開が至るところで現れます。
というかそのような描写が大部分を占めています。
その主人公が戦う相手が「地球」。
上記の社会学における自我の意味では、主人公はいわば人間社会の総意としての自我の現れととれなくもない。(ちょっと苦しいかな?)
そして、人の形をとった地球と主人公との会話がちょっとだけ出てきます。
はじめ(いろいろな意味で)笑いました。
ガイア仮説というものを知らないで言うのもなんですが、これは一個の生命として捉えるものであり、一個の人格と考えるのは間違いだろうと。
先の対話は、言わば脳と脳細胞の会話に当たるものであり、その事自体に意味がない。
著者は何かいろんな物をひっくり返そうとしているのではないでしょうか。
もちろん私の読み方でありますが。
主人公らが使う武器は高度な科学技術を用いたものです。
A.C.Clarkeの未来予測の第3法則「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない。」が何度か引用されています。
しかしながら、「悲鳴伝」の途中で何気なく挟まれた引用。
「高度に発達していない魔法なら科学に見えるかもしれない」
最初に読んだときはスルーしていました。
しかしこれ、「悲痛伝」のフリになっていたんですね。
このフリがどこまで膨らんでいくのか楽しみです。
そうか、悲鳴伝/悲痛伝はSFと呼んでもいいのかもしれない。
■追記 2013. 3. 4
A.C.Clarkeの第3法則について、 第3法則 にまとめました。

立位置かわれば

最近ちょっと感じていたのが、「同世代の友人が愚痴っぽくなってきたなぁ」。
言っても、40代前半だから自然な流れかもしれないのですが、
高校時代から、大学時代からの、就職以降の友人総じてな感じがあります。
私は自他共に認めるように「変な人」に分類される方です。
ほとんど愚痴を言わない両親の下で育ち、
基本的に楽天的な性格なので、あまり愚痴は言わないと思います。
(自分ではそう思っていても、実際は言ってるのかもしれませんが)
相談だと思って話を聞いてると、相手は私の意見を求めていない。
そうか愚痴か、と思ってとりあえず話を聴く方に徹する。
友達なら別に普通のことだし、それだから嫌だというわけではありません。
さすがに、愚痴しか言わない人(それは友達ではないので)は勘弁願いたいですが。
年齢的に頭が硬くなっているのかなぁ、とかちょっと考えました。
私はどちらかといえば体は柔らかい方です。
頭も柔軟な方だと思っていましたが、次の本を読んでまだまだ硬いなと実感しました。

高橋敬一
昆虫にとってコンビニとは何か?
ISBN 4-02-259912-X
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野尻抱介「南極点のピアピア動画」の参考文献から
「昆虫にとって〇〇とは何か?」という28の項目からなるエッセイ集のような本です。
〇〇には表題のコンビニの他に、車、人家、スーパー、自然保護、昆虫研究者、戦争などが入ります。
総じて言えば、昆虫にとって人とは何か?ということなのですが、
面白いのは、人にとって昆虫とは何か?とは対称ではないというところ。
日本には既知の昆虫が約3万種いて、未知のものを含むと10万種くらいだろうとのこと。
そういう事情に詳しい筆者が昆虫の立場から考察した「人」というものは、
一般人である私達が感じる「昆虫」とは見ている方向も大きさも違って当然です。
人が生きていくことは某かの命を奪っていることですは、誰しもが頭では分かっているつもりです。
例えば、私が昨年自転車で走ったことにより少なくとも18万匹の昆虫を殺しているようです。
私一人はもちろん、世界中の車などの走行により死んでいる昆虫の数は、しかしながら昆虫の全体からすればほんの些細な割合に過ぎすほとんど影響を与えないとか。
違う立場から考える。
これは簡単なようでいて難しい、ある程度その立場を理解していないと何の意味もないことですね。
むしろ、分ったような気になった分だけ始末に負えないのかも。
と反省を込めて、考えさせられました。
蛇足ですが、「昆虫にとって自然保護とは何か?」の項目は、私の中でこれまでモヤモヤしていた感じをクリヤーにしてくれました。

図書館夢想

半月ほど前の話。
ちょっと調べごとをしようと県立図書館へ行こうとすると、3月3日まで休館とのこと。
石川県立図書館
目的の図書は市立図書館にないことは分かっていたので、ちょっと残念。
急ぐ必要はないのですが、連動したイベントの日程をずらすため、やる気を少し削がれた感じが残ります。
と思っていたら、「ノイタミナ ラジオ」2月21日配信分で、「図書館司書から声優へ!釘宮理恵さんが登場!」
釘宮さんが図書館について熱く語っていました。
(ちなみに、私は釘宮さんといえばドッコイダーのエーデルワイス)
と思ったら、出ましたね。

武本康弘,米澤穂信 原作
氷菓 9
JAN: 4-582194-849833
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第19話 「連峰は晴れているか」は後半ずっと舞台が図書館でしたね。
スタッフ コメンタリ聞くと図書館への思いが聞けて面白かった。
まだ単行本化されていない同原作がオマケでついているのでお得な感じ。
と思っていたら、出ましたね。

三上延
ビブリア古書堂の事件手帖 4, 栞子さんと二つの顔
ISBN 978-4-04-891427-7
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TVで実写化が流れていますが、最初の5分見て、私の中では無かったことになりました。
まぁ、そういう事もあるよ。
大ヒットしているようですね。
どこの本屋でも平積みのコーナーができている。
関係無いですが、つくづく私は純文学(?)方面は読んでいないなぁと改めて思いました。
そんな感じで図書館づいている今日このごろでした。

世界遺産とは何か

荻原規子
RDG レッドデータガール 4 世界遺産の少女
ISBN 978-4-04-100626-9
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4巻になって全貌が見えてまいりました。
和風ファンタジーだと思ったら、SFだったのか。
いや、その区別はもう意味がないのかも。
(見かけ上)科学技術が魔法に近づき、その境界があいまいになりつつある現代。
SFとファンタジーの境目もまた同じ。
「SFの拡散と浸透」の意味するところを「ジャンルとしてのSFの終焉」とすると、ファンタジーも同じ道をたどっているのか。
まぁ、実際には科学と魔法はまだまだ別のものです。
「宗教と科学の結婚」もまだまだ先のことでしょう。

SF, ラブコメ, 日常系, あるいはソレ以外の何か

丸川トモヒロ
成恵の世界 13
ISBN 978-4-04-120589-1
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とるものとりあえず完結おめでとうございます。
単行本的にあしかけ13年、立派に初志貫徹されたようですね。
大きな物語、そうですね最近とんと見なくなりましたね。
というか短編でも物語として完結しないものが多すぎる気がします。
何だろう「未完成症候群」?
アニメ界、というよりこれはTV業界フォーマットのせいなのでしょうね。
もうしばらくすれば、この流れは消えていくと思いますが。
そんな流行とは少し離れたところで、コツコツと積み上げて完成された物語。
久々にスッキリ感のうれしいお話でした。
SF成分も締めてくれました。
あぁ、良かった!

仮想夢

現実の仮想化が仮想現実なら、夢の仮想化は仮想夢 (笑。
まぁ「現実も仮想もない、あるのは仮想の度合いだけだ」に尽きるのでしょう。

田中ロミオ
人類は衰退しました 8
ISBN 978-4-09-451393-6
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これ以上書くと、ネタバレどころか面白みが半減してしまうので以下略。
というか、出てくる植物が平行植物っぽいと思ってたら、そのものでした。

Leo Lionni, 平行植物, 工作舎, 1980. 1
次は、鼻で歩く生き物が…

玉ねぎはおいしいよね

渡辺カナ (HP, TW)
花と落雷 1
ISBN 978-4-08-846883-9
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なんていうかね、この台詞なんですよ。
「玉ねぎはおいしいよね」
ここらへんが好きなんですね、渡辺カナさんの作品。
台詞一つ取り出しても、文脈も説明されないと何にも伝わらないですね。
モノローグの中に差し込まれたシーンの中で主人公がぽっと発した言葉で、
友達も、「え?、何 急に」となります。
会話は特に続くわけではなく、モノローグに戻ります。
特に複雑な展開でもなく、内容は進んで行きます。
だから、構成がどうこうとか表現技法がどうこうではないと思いますが、
何なんでしょうか、私はこの台詞に引っ掛かるんですよね。
こんな会話自体に意味のないやりとりって日常的に結構やってると思います。
例えば、上のような状況があったりするのだろうと。
自分でも自覚なしに何かの考えがぽつりと口から出たりと。
人っていうのは合理的に動いているつもりでも、日常では色んな糸が絡まったり交差したり。
それでも、時には何の意味も脈絡もなく出てくる言葉もあったりする。
そんな当たり前が私は好きなんでしょう、と思う。

17日間と神の御名

山本弘さんの作品を読んでいて久々にハードSF感を味わっています。
で、気になったのが次のタイトル。

山本弘
闇が落ちる前に、もう一度
ISBN 978-4-04-460115-7
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なんとなくA.C.Clarkeの短編「九十億の神の御名」を連想して…
表題作の「闇が落ちる前に、もう一度」が近い感じでしょうか?
ジャンル分けすると「案外、あっさりとやってくる宇宙の終焉」もの。
とはいえ、まだ山本弘さんの本格的ハードSFには手を出していないのですが、それはちょっと怖いから。
私の中のSFはA.C.Clarkeが1950年代に書いたものでほぼ終わっています。
実際の物理学も相対性理論と量子力学以降フレームは変わっていないし、
ひも理論とかは机上の域を出ていない…
「神は沈黙せず」を読もうかどうか迷ってます。