どこかにあるスイッチ

初めて聴くはずの曲なのに、それと知らず涙することがあります。
例えばラジオやTVで流れてた曲で、いままで引っかからなかった歌い手/作詞家だったり。
歌詞で反応した訳ではないので、曲かなと思ったり。
今回は「Install x Dream」いわゆるアニメ作品のCharacter Songです。
で、作曲が織田哲郎さんでした。
下のSingleに入ってます。

アン (CV.阿澄佳奈)
SKY GARDEN
JAN: 4-988013-231061
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織田哲郎さん作曲の唱歌はiPod内を探せば何曲か出てくるだろうと思うけど、これまで特に意識してはいませんでした。
けっこう色々と活動しているんですね。
織田哲郎 @wiki

あるいは時間の死


2011年12月 8日 (木) 再び刻みを始める
で電池を替えてから放置してましたが、しばらくして止まってしまいました。
本当に安物なので、修理費より購入した方が明らかに安い…
もう腕時計/懐中時計は必要ないかな。

炊飯器買ったよ

とうとう新しい炊飯器買いました。

象印製 5合炊き
左が旧器:NH-LB10
右が新器:NS-WB10
シンプルな機能の後継器っぽいのを選びました。
ケーキ、チーズケーキのレシピもマニュアルに載ってました (w。
■履歴
2013年3月 3日 (日) 炊飯器の一生
2013年2月23日 (土) 炊飯器の半生

感情の集約システムとしてのSNS

一田和樹
サイバークライム 悪意のファネル
ISBN 978-4-562-04890-8
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知識というものはシステマティックに積重ねることでその意味をもつ。
学校で習った歴史上の事柄で鎌倉時代の「御恩と奉公」がある。
長年、これがなぜ重要なのか分からなかったが、先日のNHK「さかのぼり日本史」でその答えを教えてくれた。
鎌倉時代に武士の主-従関係が初めて1対1になったのだそうだ。
それより前は武士が複数の主に仕えることがむしろ一般的だったという。
中学・高校の歴史はあまり真面目にやった記憶はないが、このことを教えてくれた先生は覚えがない。
もちろん教科書や資料集にも書かれていなかった。
逆に、持っている知識に未知の軸や文脈が加わることによって新たな発見や地平が見えることもある。
その意味でも「悪意のファネル」は面白い。
(広義の)IT関係の仕事に従事している人には、きっと受けると思うのだけど。
この小説はもちろんフィクションであり、普通の読み物としても楽しめる。
しかし、そのディティールは引っ掛かり所が多く、非常に興味深く、ついついそちらに気がいってしまう (w。
例えば、ちょうど2年前のこと、spamが激減した。
震災の某かの影響かと思っていたら、次の事実があった。
巨大ボットネットの「Rustock」がダウン――迷惑メールは激減か @IT
例えば、現在の自動車は走るコンピュータであり、ほぼ常にどこかしらと通信を行なっている。
条件付きながらも、走行中の車をハッキングし制御を奪うことが可能なことも検証されている。
このような記事・事実はすぐに記憶の中に埋没してしまいがちだけれども、それらがある形で結びついた時に思わぬ効果・現象を引き起こすことがある。
Steve JobsによるiPod、iPhone, iPad、iCloudなどの成果はこの典型的な例だろう。
彼自身による発明・発見は以外に少ない。
蛇足。
「Psycho-pass」に興味がある方は、このシリーズの残り2巻(未刊)も楽しめると思う。
Psycho-pass 公式
ここら辺りについては、別のお話になるので、日を改めて書くかも。

加賀藩士人別帳

県立図書館が通常営業に戻ったので行ってきました。
探していたモノは
「加賀藩士人別帳 藩末由緒書目録 上/下」
 1997. 7.31 刊
加賀藩士のリスト「加賀藩先祖由緒一類附帳」のインデックスです。
上巻は名前順、下巻は菩提寺毎の目録となっており調べるのに便利。
20年前に私が先祖を調べた時には存在せず、玉川図書館の司書の方に調べてもらうしかなかったので、随分と便利になったものです。
市立図書館(玉川図書館)にないというのは間違いで、同2F参考資料室にないということです。
近世資料室にあるはずだから、それも司書の方に訊いてみればよかった。
参考:
金沢市図書館 HP
石川県立図書館 HP

第3法則

先日、その裏の顔で、A.C.Clarkeの未来予測の第3法則を引用しました。
あえて「悲鳴伝」に載っている形で書きましたが、オリジナルはというと、
3. 充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。 @wiki
原文:
3. Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic. @wiki
「悲鳴伝」では主語を「高度に発達した科学は」と書いています。
明らかに「科学技術」を「科学」に置き換えてるよねぇ。
引用のミスではなく、意図的に使ってます。
第3法則について興味がある方は、次の本の第35節が参考になります。

A.C.Clarke
楽園の日々
ISBN 4-15-203444-0
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炊飯器の一生


3/1 フライングひな祭り

炊飯器のパーツ
2013. 2.23 炊飯器の半生
で様子を見ていた炊飯器ですが、その後も水が貯まる様子は変わらず。
象印で上記のパーツを取り寄せて使用してみたのですが、やはり変わらず。
結果、推測ですがフタ部分のヒーターが効いていないらしい。
そのため、炊飯後も内部の水蒸気がフタで水滴になり、フタに残ると。
これはさすがに買い替えないといけないなぁ。

その裏の顔

学生時代に社会学の先生に聞いたお話。
簡単に言うと、社会学において個人の「自我」について極論すると二つの立場があり、
・自我の集合が社会を構成する。
・社会が個人の行動を決定する (自我は存在しない。)
その両極の間に現代の社会学がある、ということでした (20数年前)。
考えてみれば自我というのは抽象的な概念であり、科学的に存在するか否かを問うべきものではありません。
日常では「自我が存在する」と仮定して思考・行動することが有用であるため、そのように利用しているものですね。
このように現実、特に日常生活においては前提として当たり前だと思っていることが、単に相対的なものであったり、利便的に使われているにすぎないことがままあります。
ゆえに論理的あるいは科学的に物事を考える場合においては、どこを起点にして論理を構築するかということが肝要。
その意味で、私は数学(狭義では記号論理学)が唯一そのことを自覚的に扱われている学問でした。
さて、日常はそんな不明瞭な仮定やルールに満ちあふれているわけですが、だからこそ簡単にひっくり返ることが起こり得るのでしょう。
特に近代になるほど、科学的という言葉が、かつて「神様がそう言ってから」という意味に置き替わりがちです。
科学が神話化し、容易に科学神話が成り立つ世の中になっているようです。

西尾維新
悲痛伝
ISBN 978-4-06-182855-1
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西尾維新
悲鳴伝
ISBN 978-4-06-182829-2
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そこで、悲鳴伝/悲痛伝です。
この英雄譚の主人公は徹底的に受動的な人間です。
著者もその点に力を割いており、そのため一見この小説は非常に読みにくい展開をしています。
もちろん技術的にはすらすらと読ませてくれる文章です。
例えば、ほんの一瞬の描写に数ページを使って述べるような展開が至るところで現れます。
というかそのような描写が大部分を占めています。
その主人公が戦う相手が「地球」。
上記の社会学における自我の意味では、主人公はいわば人間社会の総意としての自我の現れととれなくもない。(ちょっと苦しいかな?)
そして、人の形をとった地球と主人公との会話がちょっとだけ出てきます。
はじめ(いろいろな意味で)笑いました。
ガイア仮説というものを知らないで言うのもなんですが、これは一個の生命として捉えるものであり、一個の人格と考えるのは間違いだろうと。
先の対話は、言わば脳と脳細胞の会話に当たるものであり、その事自体に意味がない。
著者は何かいろんな物をひっくり返そうとしているのではないでしょうか。
もちろん私の読み方でありますが。
主人公らが使う武器は高度な科学技術を用いたものです。
A.C.Clarkeの未来予測の第3法則「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない。」が何度か引用されています。
しかしながら、「悲鳴伝」の途中で何気なく挟まれた引用。
「高度に発達していない魔法なら科学に見えるかもしれない」
最初に読んだときはスルーしていました。
しかしこれ、「悲痛伝」のフリになっていたんですね。
このフリがどこまで膨らんでいくのか楽しみです。
そうか、悲鳴伝/悲痛伝はSFと呼んでもいいのかもしれない。
■追記 2013. 3. 4
A.C.Clarkeの第3法則について、 第3法則 にまとめました。

立位置かわれば

最近ちょっと感じていたのが、「同世代の友人が愚痴っぽくなってきたなぁ」。
言っても、40代前半だから自然な流れかもしれないのですが、
高校時代から、大学時代からの、就職以降の友人総じてな感じがあります。
私は自他共に認めるように「変な人」に分類される方です。
ほとんど愚痴を言わない両親の下で育ち、
基本的に楽天的な性格なので、あまり愚痴は言わないと思います。
(自分ではそう思っていても、実際は言ってるのかもしれませんが)
相談だと思って話を聞いてると、相手は私の意見を求めていない。
そうか愚痴か、と思ってとりあえず話を聴く方に徹する。
友達なら別に普通のことだし、それだから嫌だというわけではありません。
さすがに、愚痴しか言わない人(それは友達ではないので)は勘弁願いたいですが。
年齢的に頭が硬くなっているのかなぁ、とかちょっと考えました。
私はどちらかといえば体は柔らかい方です。
頭も柔軟な方だと思っていましたが、次の本を読んでまだまだ硬いなと実感しました。

高橋敬一
昆虫にとってコンビニとは何か?
ISBN 4-02-259912-X
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野尻抱介「南極点のピアピア動画」の参考文献から
「昆虫にとって〇〇とは何か?」という28の項目からなるエッセイ集のような本です。
〇〇には表題のコンビニの他に、車、人家、スーパー、自然保護、昆虫研究者、戦争などが入ります。
総じて言えば、昆虫にとって人とは何か?ということなのですが、
面白いのは、人にとって昆虫とは何か?とは対称ではないというところ。
日本には既知の昆虫が約3万種いて、未知のものを含むと10万種くらいだろうとのこと。
そういう事情に詳しい筆者が昆虫の立場から考察した「人」というものは、
一般人である私達が感じる「昆虫」とは見ている方向も大きさも違って当然です。
人が生きていくことは某かの命を奪っていることですは、誰しもが頭では分かっているつもりです。
例えば、私が昨年自転車で走ったことにより少なくとも18万匹の昆虫を殺しているようです。
私一人はもちろん、世界中の車などの走行により死んでいる昆虫の数は、しかしながら昆虫の全体からすればほんの些細な割合に過ぎすほとんど影響を与えないとか。
違う立場から考える。
これは簡単なようでいて難しい、ある程度その立場を理解していないと何の意味もないことですね。
むしろ、分ったような気になった分だけ始末に負えないのかも。
と反省を込めて、考えさせられました。
蛇足ですが、「昆虫にとって自然保護とは何か?」の項目は、私の中でこれまでモヤモヤしていた感じをクリヤーにしてくれました。

寒中、食あり


昨日の昼ごはん
スペアリブと醤油漬けニンニクのトースト
今回はスペアリブを醤油ダレに漬けてから焼いてみた。
表面がカリカリになるまで香ばしく焼く。

今日のおやつ
道の駅「せな」の胡桃ようかん
いつもは自転車で行くので何も買わない、
家族で行ったときは「とち餅」がメインになる。
なので、いつもは買わないのものを買おうと。
結果、乾そば、そば茶、胡桃ようかんでした。