思い出は眠らせて

プレゼントはむつかしい。
凡庸な私は、なかなか気の利いたプレゼントというものを思いつけない。
以前にあげたプレゼントは気に入ってもらえたけど、
後で聞いたら実はもう既に持っているものだったとか。
東方の三博士ならば良い贈り物をできるのだろうか?
では、「賢者の贈り物」をくれた人は、
どう思って贈ってくれたんだろう。
週末に本屋をブラブラしていた。
親友の女の子の誕生プレゼントのヒントを探して。
絵本のコーナーも見て回ったが彼女ももう6歳。
さすがにちょっと、もう子供っぽいかしら。
そんな事を思い眺めているうち、
ふと一冊の大版の絵本が目に入った。
リスベート ツヴェルガー挿絵の「賢者の贈り物」。
新しい版になったのだろう。
装丁も昔より立派になっている。
昔付き合っていた彼からもらった絵本だ。
「賢者」という言葉が嫌いでわざわざ英語版を取り寄せ、
私の誕生日にプレゼントしてくれた。
amazonやインターネットのまだない時代、
原書を取り寄せるのに一ヶ月かかるのが普通だった。
その彼とは長くは続かず、もらったものは全て捨てた、何もかも。
けれど、私は本を捨てることができない。
彼からもらった唯一の本、そのプレゼントは、
本棚の奥を探してみると、そのままあった。
もう10数年開いていない、そのままに。
彼と私はことごとく趣味が合わなかった。
コーヒーと紅茶、パンとご飯、短気とのんびり屋、
よくしゃべる彼と口数の少ない私。
そのころ、どうしてあんな人と付き合ってるのかと友達から訊かれた私は、
適当で曖昧な返事しかできなかった。
当時ツヴェルガーの絵はちょっとした流行で、
その絵が好きという一点で、二人の意見は一致していた。
そう、ただあの繊細な絵が好きだった。
気が付くと夕方の6時。
私は本を閉じ、それと一緒に思い出も閉じ込めた。
早く晩御飯の準備を始めないと、
もう旦那と子供たちが帰ってくる頃だ。


“good-bye” 好き記念
CDでなく、初めてiTmsでアルバムを買ってみた。

奥 華子
good-bye
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