素振り

住宅展示場の番をするのは退屈だった.
三連休の中日なのに休日出勤,しかも給料は半日分だ.
そのうえ台風が接近していて,降水確率は1日中100%.
こんな日にだれも好き好んで住宅を見にくることはしない.
少なくとも自分ならしない.
こんな時にやってくるのは,よほど時間が無くてカリカリしている連中だろう.
空は朝から曇りっぱなしだったが,雨が降らないだけましだった.
幸いにも展示場は表通りから少しは入ったところにあり,普段から人通りも少ない.
彼は車のトランクを開き,金属バットを取り出した.
一月前に同僚に頼まれてやった草野球.
数合わせのために呼び出された私は,適当にそれらしく体を動かしただけだ.
彼らはその後のビールを飲むために汗をかいていたが,
面識のない私は,居心地が悪くなるのが億劫だったので,
試合が終わってすぐに帰ってきた.
後で取りにくるからと,預ったままのバットとグローブ(泥だらけ)が,
そのままトランクに入れっぱなしになっていた.
バットを握って,2〜3回素振りをした.
体は確実に鈍っていたが,
筋肉があげる微かな悲鳴は,なぜか心地よいものだった.
思い出す,ということは普段忘れていた,のだが,
私は中学生の頃は野球部だった.
ただ野球が好きだった私は,そのころ本気でプロ野球選手に憧れ,
中学の2年半を野球という部活動にささげた.
結局のところ,弱小チームのレギュラーさえ獲得することはできず,
補欠のまま私は野球部を引退した.
いつのまにか野球への熱もさめ,高校では文化部に入って適当に遊んでいた.
野球部では,楽しい思い出なんかほとんどなかった.
練習は苦しくて,辛いものだった.
いまこうしてバットを振り回していると,
思い出すのは,楽しかったことだけ.
団地の3年生から6年生の男の子で,チームを作って遊んでいた草野球.
毎日のように飽きずに暗くなるまでやっていた.
一個しかないボールを見失い,みんなで草むらのなかを探した.
もう一度草野球に混ぜてもらおうか,
そんな考えが,ふとうかんだ.

かたち

どれくらい眠っていたのだろう.
ある日,光が差し込んだ.
最後に封がなされてから,恐らく100年は経っているだろう.
かすかな光は,壁板のすき間から漏れていた.
そのすき間が広げられ,小さな手と頭が表れる.
子供達が古くなった壁の一部を剥し,そこから入ってきたのだろう.
慎重な盗賊たちとは違い,子供らは自分達の仕業でほこりを盛大に巻き上げる.
そしてむせ返るが,慌てた所作がさらに事態を悪くする.
舞い立つほこりに慣れると,子供らは部屋の中をゆっくりと歩き回り,物色し始めた.
それもすぐに,めぼしいものがないことを知ると,
飽いたように走り回り始めるが,それがまたほこりを舞いたてる.
私の目が,そのうちの一人とあった.
その子は何かを見出そうとするように,私を見つめた.
喉まで出かかっている言葉を探すように.
やっと見つけ出した宝物に手を伸ばすように.
みんなが出ていった後も,その子はしばらく私を見つめていた.
他の子の呼ぶ声に我に返るまで,目を離すことがなかった.
それから,時々やってきては,彼は私をながめていった.
いつしか私の分身が彼の中に宿ったことを知った.
私は,数百年あまりの昔に一本の木から削り出された.
その彫師は名も成さず,その作品も多くがすぐに忘れ去られてしまった.
平凡な作品のなかでワタシだけが,
数ある偶然とそれより多くの必然から生まれ出た.
それ故に,私を含む存在は大切に保存され,
やがて宝として厳重に封印され今日まで残されてきた.
この子らが封を崩し穴をあけるまでもなく,
私は,多分あと数十年もしない内に朽ちて,消えてゆくだろう.
私は「木彫りの如来,
その右の二腕の線」にすぎない.
私は,ただ一つの線.
いくつかの幸運がはたらけば,
彼の手によって,私の分身が生み出されるだろう.
そのうちの幾つかは,人々を魅了し,再び種を蒔くかも知れない.
私たちは時空を越えてその存在を維持する,ひとの心を渡り歩く,渡り鳥のように.

ネタ帳


ネタ

昨年の10月からネタ帳をつけていて,
けっこう小ネタは貯ってるのですが,まとまらない.
ですが,今日はもう眠いので寝ます.

物語は始まらない 1

「前々から思っていたんだけど,桜の花ってパラボラに似てるよね.」
マサキが言い出した.
また,下らないことを考え付いたんだと思う.
真面目につき合うとくせになるので,適当に話題を変えてみる.
「冷奴のこの切れ目って,飾り包丁かしら.
でも鰹節かけると見えなくなるよね.」
彼女はお酒を飲むたびに,ヘンテコな話を切り出してくる.
どこから仕入れてくるのか,わざわざひねり出してくるのか.
それとも,日頃からそんなことばかり考えているんだろうか?
「チハちゃん,ねぇ聞いてる?
桜の花って,パラボラアンテナに見えない?」
しょうがなく,話にのってあげる.
といっても,いつものように適当に相槌を打って聞き流すだけだ.
「でもこれだけあったら,NHKの集金の人も大変だよね.」
いつものように話はあらぬ方向へ流れていく,お酒の勢いを借りて.
私もちょっと酔ったせいか,考えていた.
もし一つのパラボラが一つの星を向いているとしたら,
一本の桜の木は,ずいぶん多くの星々を捉えているんだろう.
兼六園とお城一杯の桜では,銀河系に足りるだろうか?
「冷奴のは,味を浸み易くするためだそうですよ.」
大学生のバイトの男の子が言った.
さっきの私の独り言を聞いて,ママさんに聞いてくれたようだ.
「んー,ほうなんや.」
そして,冷奴をもうひとつお願いする.
「今度は梅肉のがね.」
マサキは卵焼きをつついて,ていうか頬張っている.
好物なので,ここでは必ず食べている.
出汁巻ではないが砂糖を入れないで,というリクエストには同感だ.
ひとりご機嫌で食べている様子を見ていると,
もう桜のことは忘れているようだ.
こういうところは,まるで子供のよう.
高校生のトハやタカシだって,こんなに無邪気な顔をしない.
習慣のように御茶漬を食べてから,お店を出た.
春とはいえ夜になるとさすがに冷える.
きれいに晴れている夜空をこっそりと仰いでみた.
この星一杯に桜があれば,宇宙の全ての星とつながるのだろうか.
こっそりとみたのは,マサキに知られるのが,なんとなく癪だったからだ.

帰還命令

軌道上から眺めるこの星は,今朝もいつもと同じように青く輝いていた.
初めての赴任地であるこの星に私がやってきたのは1994年.
それから13年間,いつも足元のこの星を仰ぎ見てきた私に,
今日,本星への帰還命令が下った.
—-
星は “Swantreal” と仮称が付けられた.
和名は特につけられていないし,これからも付けられることはない.
遥かな昔にテラフォーミングされた後,永い歴史を刻んだ後,この星は半ば放置されていた.
私がやってきた当時,この星へは大量の移民が予定されていた.
それは数万から数千万の規模であり,文字どおりこの星の歴史を新たに始める手助けとなるものだった.
私の仕事そのものは全くの事務的なものである.
一言で言うと,この星の情報全ての管理とその記録だ.
まず地理的環境の把握から始まった.
天文的素養は全くの地球型で,1年と1日の長さはほぼ同じ.
月よりやや小振りな,一つの衛星を持っている.
かつてはもう一つの大きな月を従えていた.
表面積に占める海洋の割合が大きく,陸地は12%程度.
細長い大陸が2つに,やや小さな亜大陸がひとつ,それらに囲まれた多島海.
氷河期を過ぎて数千年を経ており,今後数万年の気候は温暖であることが予想された.
生態系は主に2種類が混淆している.
もともとこの星の在来系と,テラフォーミングの際に持ち込まれた地球系の種族である.
在来種はとうとう海から地上へ出ることができなかったが,今でも海洋のほとんど全てを支配している.
この星の北大陸には過去からの住民がいまだ残っていた.
彼らは氷河期にもこの星から脱出せずに残った者たちの末裔だ.
その特殊な血をこの星に残すために,氷河からの避難さえかたくなに拒否した.
「天を支え世界を守る東方皇家」の意味を正確に知っている者は,地上にはもういない.
彼らにあわせ,移民の大半はアジア系漢字文化圏の民族が主体となる予定だった.
移民のために,土地の区分と命名が行われた.
それは今後数千年の歴史を紡ぐことに他ならない.
3年を過ぎるころには,私の仕事は主に,
地理的気候的環境から仮の移民計画とその後のシミュレーションを作成するに変わった.
それを当局へ提出すると,上から修正や改善の指示がくだされる.
それらの計画は,実際に行動に移されるまで記録される.
やがて実現されるであろう,いわば未来の歴史を私は紡いでいった.
5年ほど経つころには,上からの指示はほとんど無くなっていた.
予定されていた初期の移民は延長に延長を重ね,やがて計画そのものの進行も停滞していった.
一度は科学技術を失ったこの星の住人は,この3000年後に星の世界へ再び乗り出す.
そして,やがて地球とのファーストコンタクトを果たす.
遠い異星で生まれたはずの,同じ遺伝子を持つふたつの人類.
そこから,再び新たな歴史が生まれる.
しかし,今日の撤退命令は全ての計画をキャンセルしてしまった.
この星の時は止まり,再び動き出すことはないだろう.
既に忘れ去られてしまった数百の世界と同じように,
この星も記録という名で呼ばれる誰の目にも振れることのない文字列の中に埋もれてしまう.
私は疑似人格,名前すら無い.
作者が物語を生み出すために用意していた舞台の一つを管理している.
この世界が放棄されると,私もその役目を終える.
私は大した役割を演じることもなく,決して表に出ることはない.
それはこの世界を舞台にした作品が世に出されたとしても,何も変わることはない.
ただ一度きり,私は職務を逸脱した.
結局は予定だけに終わってしまったこの世界.
実現されることのなかった世界の片隅の,小さな村で育った一組の姉弟の物語.
大きな歴史の流れには決して表れなることのない二人の世界.
それを私は勝手に記録の中に編み込んだ.
こっそりと誰の目にもとまらないように.
私は,生きた証を残そうとは思わないが,
全ての遠大なる計画の中で一つくらい,そんな物語があってもいいのではないかしら.

靴下の片割れの国

相方を失った靴下は,どれほど悲しいだろう?
たいていの場合の靴下は,
左右いっしょにおろされ,
いっしょに履かれ,
いっしょに洗濯される.
たとえ右靴下に穴が空いたとしても,
右だけが捨てられるわけではなく,
左だけが残されるものでもなく,
両方揃って役目を終える.
ところが,何かのはずみで,
靴下の片一方が行方不明になってしまうことがある.
どこへ紛れたのか,見えなくなってしまう.
一足しかない靴下はかわいそう.
しばらくは取っておかれても,
もう履かれることはない.
やがて捨てられる時がくるが,相方はいない.
多くの場合,一度別れた靴下は,
再び出会うことはあまり,ない.
別れてしまった靴下たちは,
その役目を終えた後に,きっと,
靴下の片割れの国へ行くのだろう.
そこでは,先に役目を果たした靴下たちが待っている.
世界のそこここで別れたものたちが,
この国で再会を果たし,
そして靴下の天国へ行くのだろう.
だから,靴下の片割れの国.
この世は悲しみだけじゃない.

アカトキの杖とカワタレの杖

狩人族は高位の魔法を用いなかったが,
その最高の術をして行われたのが二本の杖の創造だった.
この杖は錠であり,鍵となる者が杖を握ると,それぞれの内に玉を生じる.
また,二本の杖が出会うとき,そこに
至宝の玉,プウリを生じるという.
アカトキとカワタレの名はその置かれた地に由来する.
アカトキの杖は東の端,マク王国の東に置かれ,
カワタレの杖は西の果て西方王家の元に置かれた.
そして,最後に世界を守るために,その日まで隠され続けた.

ルシルオン

ジュッタ=ルウィク公家代23代当主の忘れ形見.ヴァシュウの息子.
西海の真ん中で生まれた.
16の頃母を失い,北方の地より流浪の遊子となる.
そのたどる道筋は,スオルンやサリュらが歩んだ道であり,
人族の歴史でもあった.
彼はその道をたどり,エジュと出会い,そして火の山へたどり着く.
しかし彼は成長しない.大人にはなっていない.
それはまた人族の種族としての運命でもある.
パルムと闘うルシルオンは何も見えていない.
世界はおろか,眼前の敵,また自分自身さえも見えてはいない.
パルムが人族の将来を憂えて世界を終わらせようとしているのに対し,
ルシルオンは全て個人的なエゴで行動し,皮肉にも最終的には世界を救う.

老竜と若者の会話

「お前は何も知らんのだな,わしを,このハルブアルを知らぬ竜族がおろうとは.」
竜は巨躯を横たえたまま,頭だけを巡らせて,うなるように話し始めた.
「私は竜族じゃない,人族だ.」
老竜は怪訝そうにうなり,息を吐き出した.
それはハルブアルにとっては笑いだったのだが,
始めて巨竜に出会ったシリオンには知る術もなかった.
「そうか,お前たちが『いそぎすぎた者』たちか,
なるほど,羽根も尻尾もないときておる.
高貴な蜥蜴共とも違うようだな.
非力な上に使う言葉も幼稚ときておる.」
ハルブアルは満悦そうに一人言ちた.
「この剣を持っていくがいい.人の子よ.
こいつはわしが昔,おろかなものどもから守ったものだ.」
この剣は”最後の時”に運命の者が手にするものだ.
これをやろう,『最後に表れた者』.
そして,お前の好きに使うが良い.
『水の舞』はどこへ渡ろうとも,
いつも必ずお前たちの許へ帰ってくるだろう.
必要な『その時』にはな.」
そして,その剣は人族の手に渡された.

星への扉 -序文

その光はこの数千年の間,絶えてひさしいものだった.
かつて空一面に満ち,星々を往来した者たちを彼らは覚えていた.
その光はゆっくりと,しかし確実に強さを増した.
一世代を数えるころには,昼間でももっとも明るい星となった.
光の時代はとうの昔に終わってしまった.
子供のように無邪気だった人類もどこかへ消えてしまったのだった.
この光は,その人類の迷い子だろう.
星の海を渡ってきた,恐らく最後の船は,
長い道のりを越えてやってきた.
そして,永い時間を越えて.